Alcedo Atthis Architect Report


「設計室コラム」


 2006年10月28日

10月27日から31日まで銀座のINAXギャラリーで行なわれる「建築家のメモ展」に出展しています。
設計途中のメモがどのような形で現実の建築に反映するのかを表現するパネル展で、今日はそのレビューに出席し、メモの説明を行ってきました。建築予定の敷地を見て配置を検討したスケッチと解体民家から手に入れた板の使用方法を考えたスケッチを、それぞれの完成した写真と一緒に展示しています。
こうしたメモ的なスケッチは現場やスタッフへの説明用にコピーの裏紙や青焼きの端っこに描いて、最後は捨ててしまうのが普通ですが、最近は備忘録的にノートに残すようにしていました。思いがけない形で役に立つものですね。


 2006年10月06日

「重要文化財の民家(三森家住宅)もあるから見て勉強するように。ここから5分くらいだよ」と案内図までくれた那須歴史探訪館の職員の好意に応え、三森家住宅を見てきました。那須歴史探訪館は私の現場から30分、三森家住宅までは1時間かかりました。私も含め田舎の人の「すぐそこ」「5分くらいの距離」は当てになりませんね。この先行き止まりではと、心細くなるような人家の少ない道で土壁・茅葺の民家を見つけました。
苦労して辿り着いた建物は良く見えるものかもしれませんが、背面に小高い山を控えたなかなか趣のある家でした。「勉強して行け」と薦めるだけのことはあります。 現在も現役で使用中とのことで、内部の見学出来る場所は土間だけです。山梨から来たと知ると、所有者のおばさんはいろいろ説明をしてくれました。こういうとき余所者は得ですね。土間と板の間どちらからも共用できる面白い囲炉裏があり、このアイデアをいただきとばかり実測してかえりました。


 2006年10月04日

30日・1日は大阪の太子温泉に行きました。NPO民家再生リサイクル協会(JMRA)の研修会で限界耐力計算法による伝統的工法の現場見学会と設計事務所の「監理」と請け負い業者の「管理」との違いについて勉強する講習会です。
私は何故かこの講習会で講師担当することになっていました。以前同じJMRAで企画した民家再生工事の設計監理に関する連続講座で「監理」を担当したのがきっかけですが、今度は東京ではなく大阪まで呼び出されてしまいました。元来出不精なので、こうした機会でもなければおそらく縁のない場所だっただろうと思います。

「太子」という名前の通り聖徳太子ゆかりの地で、明日香村につながる古道の竹内街道が走り、周辺には推古天皇やら小野妹子やらのお墓があります。街道沿いには「大和棟」と呼ばれる切り妻茅葺の特徴ある民家が今も尚、多く残っています。観光客向けの変な看板の類がなく、旧街道には道しるべや、伊勢灯篭などが自然な形で残っていることも好ましく思えました。
私達の見学予定は古くから残る家並みと、国登録文化財「旧山本家住宅」ほか3軒の古民家でした。建物は茅葺屋根の妻側に瓦屋根を載せた漆喰の壁が立ち上がる独特な造りで、内部は天井が張られ、屋根裏に入らないと棟までの構造は見ることが出来ません。ある家で天井裏を覗かせて貰うと、断熱のためか土が乗せられていました。小屋裏を養蚕のために使用する山梨県では見かけない手法です。私達甲州人の祖先は養蚕で生活費を得るために暖かさよりも、生産スペースを確保することの方を選んだんですね。こんな所にも地域性が感じられ、興味深いと思いました。
近くには安藤忠雄さん設計の「近つ飛鳥博物館」もありましたが、残念ながら時間切れで見ることは出来ませんでした。


 2006年09月27日

現在、栃木県で民家の再生工事を行っています。監理のために現場に行くついでに周辺の建物を見学して歩きます。
前回(8月29日)は那須歴史探訪館に行きました。鉄骨造のガラス張りですが、軒を低く抑え、既存の古いお蔵にボリュームを合わせた大変上品な感じのする建物です。ガラス張りですから中の受付からもこちらが見えます。きっと「どうしてあいつは入ってこないのか?」と疑問に感じているだろうなと思いながらも、内部は後にして先ずは外部からと建物の見学を始めました。
面白いベンチがあったのでメジャーで実測していると、怪しい奴と思われたのか、痺れを切らしたのか管理人が出てきました。遠回しな表現ですが「用があるならさっさと中に入って来い」と言いたかったのですね。実はこんな職業ですと名刺を渡すと、設計者選定のいきさつから設計手法や素材の使い方や納まり、展示方法まで事細かに説明してくれました。
最後に「トイレも面白いから見てゆくように」言われ、同じ設計者の建物(芦野石の美術館)がすぐ近くにあること、ついでに重要文化財の民家(三森家住宅)も近くにあるからと案内図まで貰い、中身の濃い見学となりました。


 2006年09月03日

上海の南京路の近くに骨董市場があります。長さ100メートルくらいの通りの両側に、お祭りの屋台のようにズラリと骨董店が並び、孫子の兵法書・月琴・唐三彩など陳列しています。「ここにあるものはねえ、全部ニセモノ。本物は一つもないから。」と案内してくれたFさんは言いました。尚、採掘現場はお店の裏にあり、秦代・漢代・明代等々あらゆる時代のものが出土するとの事でした。さすが、中国4000年の歴史は侮りがたいものがあると納得しました。
さて、骨董店の入っている建築は意外なことに洋館でした。アールデコっぽい集合住宅で、ところどころから中庭が見えます。人々が数名、椅子に腰掛けくつろぐ様がとても魅力的で、中国語が話せたら中を見せてくださいと交渉したくなる風情でした。日本に帰ってから「世界住居誌」という本をみて、中国近代の租界に設けられた、「里弄」(リロウ)という低層連棟型集合住宅の一つである事を知りました。その項は事前に読んでいたはずですが、頭には入っていなかったんですね。覚えていればもう少し違った見方が出来たはずだったのにと、残念です。


干し柿のカーテン

 2005年12月7日

私たちの事務所がある塩山の特産の1つに「古露柿」があります。いわゆる干し柿ですが、この地域では古露柿と呼ばれています。11月の夜露や干している最中に柿の先端に集まる雫みたいなものが語源なのかと勝手に思っていましたが、調べたところによれば、いにしえの人は庭先に敷いた茣蓙の上に転がして干していたので、「コロガシ柿→コロガキ→古露柿」と省略語に当て字が付いとのことでした。あまり風流ではなく少々がっかりです。
我が家も農家ではありませんが、父母が何処からともなく百目柿を入手し、僅かですが軒先に吊るしていました。表面が乾いて内部がゼリー状になると、商品としては未完成ですが食べることが出来ます。ちょっと透明感があって大変美味しそうに見えます。 干し柿には「白く粉を吹いた柔らかなもの」と「黒く締まった硬いもの」があるのですが、食い意地の張っている息子が居たので我が家では干し柿の完成形を見た記憶がありません。
さて11月になると、農家の人たちは百目柿と呼ばれる大きな渋柿の皮を一斉に剥き、軒下や庭先に大量に干します。紅葉も終わり、色合いの乏しくなった晩秋の一時期、こつ然と出現するオレンジ色の玉すだれは写真愛好家には絶好の被写体なのでしょう、ぶら下がった柿の下でカメラ・三脚を構える人影も散見されます。
この写真も、ある農家で干している土塀越しの柿が絵になるのではと以前から当たりをつけていました。撮影の数日前通りかかると、しっかり先客達が居ました。知る人ぞ知る撮影ポイントなのですね。



 2005年12月5日

スペインのバルセロナにサグラダ=ファミリア教会を見に行った時のことです。これは完成までに200年かかると言われている建物ですが、建物の敷地には加工途中の石が置いてあって、確かに工事は続行しているようでした。有名な「生誕の門」という完成されている部分を眺めていると、何処からともなく石工がやってきて、門に登ってなにやらカンカンとやってすぐ帰って行きました。成る程、こんな調子ではいくら時間があっても終わらないぞと思いましたが、後から知ったことによれば建設資金は寄付が主な財源なのだということ。そういえば地下には賽銭箱(?)がありました。設計が難しかったり、仕事が遅いのではなくお金をためてボツボツやるといった建設方法なのでなかなか進まないのです。 同じ頃訪ねたセビリヤのヒレルダの塔は完成までに200年掛かり、何かの理由で壊れたけれど再建は2,3年で出来たというようなことが、解説書に書いてありました。それなら最初の200年は一体なんだったのかと、大変不思議な気持ちになりました。 「完成が目的ではなく造り続ける事が信仰なのだ」といった伝統的な考え方なのかも知れませんが、慌ただしく時間とお金に追われる現代日本に住む私には遠いお話です。



 2005年11月28日

昔の建築家は建物のデザインだけでなく、工事用の機械まで設計したそうです。以下、花の都フィレンツェの観光名所ドーモ建設時代の話です。
当時は建物のてっぺんまで石を運びあげるのに馬を使い、滑車で石を載せた台を持ち上げていました。一度石を積み上げたら次の石を載せる為に台を下ろさなければなりません。そのためには馬の向きを変えて反対方向に滑車を廻す必要がありました。相手は生き物ですから、人間の都合に合わせておいそれと方向転換はできません。狭い塔の中でなだめすかして向きを変えていたようで、工事には大変な時間がかかったようです。
そうこうするうちにブレネレスキという天才的な建築家が現れて、今で言う「ギヤ」を発明しました。当時としては画期的な発明で、馬は同じ方向に回り続けていても、ギアの切り替えをすることで石の上げ下げが簡単に出来るようになり、工事のスピードは飛躍的に速くなりました。結構な話ですが、これは馬に取っては方向転換のさいに拗ねて、気分転換や休憩をする時間がなくなったことを意味します。さぞかし消耗したことでしょう。能率を上げるための発明や工夫は労働の強化を意味し、必ずしも働く者にとって有利になるとは限らないようです。現代の私達も携帯電話やメールのおかげで、一時的な音信不通や行方不明にもなれません。「さすが、後世に名を残す天才は違う」と感心ばかりしてもいられません。



 2005年11月25日

写真は、日光東照宮ほど「ド派手」ではありませんが、なかなか装飾的な建築です。近年、装飾的な住宅やオフィスビルを見かけることは稀ですが、工業的な手段で造られた無装飾の建築が出現したのはせいぜいここ100年余り、人類の建築史のなかではほんの一瞬です。アフリカの土の民家や東欧の民家などには各家庭ごとに思い思いの絵が描かれ、殆どの宗教建築には天井画が描かれ柱には彫刻が施されています。偶像崇拝を禁止したイスラム建築であっても、アラベスクと呼ばれる美しい幾何学模様で埋め尽くされています。人類の建築の歴史は3万年から5万年といわれますが、体中に模様を描きこむ人々が今でもいるように、建築にもずっと装飾が施されていたのかもしれません。建築にとっては経済性を追求すれば不要な物ですが、象徴性を大切にするのであれば必要とされるものです。
この先石油が枯渇し、建設機械が使用できなくなり、再び人力を中心とした時間を掛ける建築方法が主流になれば、象徴性が見直され、装飾を施した建築が再び主流になるのかもしれません。



甲府善光寺本堂



 2005年11月24日
囲炉裏の縄縛り

20年ほど前、民家再生を始めたばかりの頃、囲炉裏の設計をする機会がありました。農家育ちではないので映画やTV番組、飲食店などで見かけた程度の知識しかありません。
囲炉裏の参考図も、関係資料もなかなか見つからない。経験も少ない。そんな頼りない設計士であっても、大工職に「こんな感じ」と言えばとそれらしきものが出来てしまうところが伝統の凄さなのですが、それではせっかくの機会がもったいない。そこでいくつか類似事例を実測することにしました。

実際に調査してみると、民芸風の飲食店などに使われているものとは異なり、造り方は素朴ですが、実質的な部分に工夫が凝らされている事が判りました。取り付け、取り外しは操作も考え方も単純な原理を応用することが基本になっています。
図は火棚を吊る縄の縛り方ですが、現在のようなボルトや金物を使うのではなく、「縛る」という最も原始的で直感的な方法が取られています。縄は結ぶことなく相互に絡ませ、火棚の重みで縄が締まり、安定するようになっているのがお判りでしょうか。
消耗したら縄を変えれば良いし、縄は原料の調達も含めて自力製作できるので、壊れても部品がなくて困るなどということは事はまずありません。必需品は自力の調達と維持が生活の基本だったのでしょう。





2005年11月21日

時間の経つのは早いものです。前回のコラムからもう1ヶ月近く過ぎてしまいました。この間ホームぺージがリニューアルされ、ワールドフォトプレス発行の「古民家スタイルVOL5」の原稿を書きました。1000文字程度の原稿でしたが、書き上げるために1・2日かけ四苦八苦してやっとのことで仕上げました。作文はあまり得意ではありませんが、自分の考えを表明する機会をもらえることはありがたいことです。

さて、言うまでもなく本業は建築設計です。図面を描く方は一応プロですから、文章と違い中身さえ決まれば手が勝手に動いてくれます。作図作業を鉛筆描きからコンピューターに切り替えたときの戸惑いも昔の話、何とか使いこなし今では手放せない必需品です。最近になって、「ペイントショッププロ」というソフトも使い始めました。最初は写真の修整ばかりでしたが、図面の加工も覚えました。まだまだ不慣れですが、これはなかなか楽しい作業です。ウェブならではの表現方法を研究してみたいと考え、今回のリニューアルを機会にドローイング作品も紹介しました。
設計途中のアイデアですから、建築としては荒削りの部分もありますが、法規や予算・与条件などの現実とのすり合せが少ない分、自由と可能性に満ちています。初めのもやもやとして漠然としたイメージが手を動かすことで何となく形になり、現実との葛藤の中で具体的な形として実体化してゆくのも、設計の楽しみの1つです。



蕎麦道場